10時頃来てよね

奇妙な実話(怪談)の覚書き。

友達の部屋に幽霊が出る話 <異臭>

件の友人Aが転職を考えていることは先述<困った同僚>に記載した通りだが、資格もあることだし条件さえあえばすんなり決まるだろうと思う。

 

壮行会の後、まだ夜の11時前だっただろうか、とにかく終電までまだあるし、そもそも友人Aは自転車で来ているということで時間に余裕があった。

私はたまに行く深夜営業の喫茶店に友人Aを誘い、そこで暖かいココアでも飲もうと提案した。

彼女の枕元に立つという、デニムの男性の話を聞くためだ。

 

茶店の年季の入ったスウェード調のソファはえんじ色で、友人Aはウインナコーヒーを頼んでいた。

「で、あれからジーパン君となんかあったの?」

私は意図的に、彼が実在しているかのように言った。久しぶりに会う友人Aの考えが読めないからだ。

「寝る前に話しかけてきはんねんけどな、ちょっと前まではよく聞きとられへんかってんけど、こないだからハッキリ聞こえるし、こっちが答えたことに返事してくれるようになったわ」

「どういう風に話すの?」

「足元におる小さいやつの話したっけ」

「した。R2D2みたいな」

「それ。そいつが通訳っていうか、スピーカーみたいな感じで、そこから声がしてると思う。でもな、寝てるときに話しかけてくるやん?で、こっちが起き上がるとあかんみたい。寝たまま話すと会話になんねんけど」

ジーパン履いてるのは、わかる?」

「わかるよ。相変わらずジーパンに、白かベージュのセーターみたいなの着てる」

「寝たまま横向くと見えるってこと?」

せやねん。だからウエストから腰の辺りしか見えへんねん」

「顔は?」

「前にちらっと見たと思うけど、ぼやけてて。寝起きで眼鏡かけてへんし」

「その足元におるR2D2みたいなやつってさ、機械なん?」

「微妙やねんな。頭を上げると見えると思うねんけどさ、なんか金縛りみたいになってて、目は動くけど身体はこわばってる。無理やり動かすとつりそうで怖いしな」

「どんな話するの?」

「最初は、今日仕事どうやったー?みたいな普通の話。あとは寝る前に見てたドラマの話とか?」

「日常会話か」

「あと前によく泊まりに来てたCさん、最近見てないとか」

「あー、そっちも変な話よね」

「ほんでまあ普通に話しかけてきはるし、こっちも普通に答えるようになってな。3日置きくらいかなぁ、今んところ。おかげで寂しくないわ」

と友人Aは笑った。

「そういえば冷蔵庫は?」

私はふと、このデニムの男が現れる前に友人宅で問題になった冷蔵庫のことを思い出した。

「まだ真言唱えてるの?」

「いや、お札貼ってる。八坂神社の。でもまた最近夜うるさい時があるから、そろそろお札もらいにいかなあかんなと」

「そのジーパンとR2D2には真言唱えるのはやめたん?」

「毎回じゃないけど、普通に話しててもな、途中でノイズみたいな、ガシャガシャした大きな声出したり、ぐちゃぐちゃになることがあんねん。そうなったら唱えるようにして、帰ってもらう」

「帰ってもらう?」

「うん。話聞いたらさ、夜になると足元のコ連れてうち来てるねんて」

「通いの幽霊ってこと?」

「幽霊なんかなあ。はっきり会話できるようになってさ、なんか曖昧なんよな」

「なにが?」

「いやさ、ほんまにおるんちゃうかなって」

「え、でも玄関から入ってきてないっていうか入れてないよね?」

「ないない。ないけど、なんか実在してる気がすんねんなー」

「いやほんなら実在してないやろ。っていうかさ、知らん人間の男が枕元に立ってるほうが幽霊より100倍怖いで?」

「知らん人間ってわけではないねん」

「どゆこと?」

「最初は知らんやん、それはみんなそうやん。でも、知り合って仲良くなっていくやん?」

「そらそうやな」

「こないだからな、私、ジーパン君に恋人扱いされるようになってん」

「え?えっ!?」

「最初は知らん人やけど今は恋人っぽいし、夜会いに来てくれてるって言うていいと思うねんけどさ。どう?」

友人Aはほんのりと笑顔で会話を楽しんでいるようだった。

基本的に優しい表情でいつも朗らかな友人なので、この会話も、まるで日常の恋バナでも語っているかのようなトーンだ。

 

どう?って聞かれても、実在してないのは明白で。

 

「今日、泊めてもらっていい?もしかしたら会えるかもしれんし」

と私はイチかバチかで友人Aに聞いてみた。以前に聞いた話では、彼女一人の時にしか現れないとのことだったが。

「そうしよ!見てほしいドラマあるし!」

友人AはとてもうれしそうにOKしてくれた。

 

散らかってるから、ちょっとゆっくり来てな!と言い友人Aは自転車で帰っていった。私は電車で2駅先の友人宅の最寄り駅へ移動し、マンション近くのコンビニで買い物しつつ時間を見計らって、友人Aに電話を掛けた。

いつでも来てや、とのことなのでマンションに向かい、部屋番号を押し、オートロックを解除してもらい・・・

ジーパンの男はこういう過程を経ずに友人の部屋に現れているということなんだと実感する。絶対おかしいやん。

それでも、私は故知の友人Aの発言を100%信用していて、何であろうが、彼女から見えているならばそれでいいと思っている。

ただ、男が実在しているかもしれない、という考えを持ち始めているのが心配だった。

もし実在しているのならば、出てくれば私にも見えるはずで、出てこなくても呼べばなんらかの反応があっていいのではないか、恋人なら。

 

最も考えられないが、もし友人Aが私をからかっているのであれば、こんな急な泊りのオファーは断るだろう。

私は早歩きでコンビニの袋をガサガサさせながら部屋のチャイムを鳴らす。

「開いてるで」との返事で、ドアを開けて入る。

 

その時のことは、これを書いている今でも、思い出すのが辛い。

玄関から一歩入ると「ん?」とちょっと鼻につく臭い。そして冷蔵庫の前を通りリビングへ入ろうとして、思わず後ろにのけ反ってしまった。

 

異常に臭かった。えずくほど臭かった。

ガス臭に近い、オナラを煮詰めたような臭いとでも言うか。

 

そんな中で友人Aはニコニコ笑顔で、ソファベッドでくつろぎながら、「冷蔵庫にお取り寄せのタラコあんねんけどな、お茶漬けでもする?」と。

息をすることもままならないくらいの異臭なのに。

私はかろうじて口を開けて、

「なんか変な臭いする・・・気がする」

と言ってしまった。こういうことを言うのは本当に失礼なのはわかっているがあまりに異常に臭すぎた。

「えー?そうかなあ?部屋干ししてたからかもしれん。窓開けよっか」

 

正直そんなレベルじゃない。とにかく耐えられない臭さだった。

しかし部屋まで来ておいて急に帰るわけにはいかないから、一旦は鼻で息をしないようにしながら上がらせてもらう。

友人は窓を少し開けてくれ、私も玄関のドアを数秒開けたままホールドする。風が抜けるのがわかる。

少しはマシになるだろう。

 

友人は部屋を片付けてすぐにシャワーを浴びたらしく濡れた髪を拭いていた。私もどうせ泊まるのなら早めに浴びてお友人に断ってまずシャワーを使わせてもらった。

とにかくこの悪臭から逃れたい一心でのことだったが、不思議なことに、バスルームは無臭だった。換気扇のおかげだろう。

手早く浴び、髪の毛をバスタオルで巻いてリビングに戻ると、ひどい悪臭は大幅になくなっていて安心した。窓からの風が寒いのだろう、友人はブランケットに包まっていた。

急いで窓を閉めに行くと、外の騒音の大きさに驚く。なにわ筋は昼夜問わず交通量が多く、とくに夜間はトラックの走行音がビルに反射してより大きく聞こえる。しかし窓を閉めてしまうと騒音がほとんど気にならない。ちゃんと防音窓の部屋を選んでいるあたり、友人のしっかりしたところだと感心する。

「いつもどんな風に彼は来るの?」

私はあえて『出てくる』という表現を避けた。

「寝てる間やからなあ。1時から2時の間くらいちゃうかな」

「今夜来てくれると思う?」

うーん、と友人Aは渋い顔をした。Cちゃんが泊まりに来た時もとうとう現れなかったらしいから、まず望みはないだろう。

Cちゃんといえば。友人Aに会社で「この大嘘つき!!」と怒鳴りつけた同僚だ。

 

私の知る友人Aは誠実で、真面目で、努力家で、まず人に嫌われることはあり得ない。

それが私だけが持っている感想ではないエピソードとして、どの家のお母さんにも非常に評判がよく、男の子のお母さんには「ぜひお嫁さんに欲しい」、そしてうちの母は「あんなしっかりした友達がいて安心した」と実の子より信頼を置かれるほどだ。

そんな彼女に対して、Cちゃんの発言は非常に理解しがたい出来事だった。

 

今その話を蒸し返してもいいものか迷ったが・・・

「Cちゃんとはあれっきり?」

せやねん。酷なってるわ。なんか怖いみたい私のことが」

「怖いってどういうことやろ。怒ることなんてないよね?」

「無い無い。そもそも部署違うし。ただフロアが一緒になって、トイレやらで会うねんか。一瞬で顔面蒼白にならはんねん」

「すごいな」

「なんかこっちが申し訳ない気持ちになるくらい。ガタガタ震えてて、嫌悪感って感じよりも恐怖感っていうか、ヒッって小さく悲鳴上げるくらい」

「どこの職場でもイヤな人って絶対おるけどさ、会っただけで震えたり悲鳴上げるっていう嫌い方にはならんよね・・・」

せやねん。そこまであかんようになる前に社内の相談窓口にメールするとか、私が原因なら相談行ってくれて全然ええねんけど」

「知らんところで他人を傷つけてることってあるけどさぁ・・・にしても怖がり方がヤバい」

「気ぃ遣うわ、トイレ行くタイミング」

友人Aは自嘲気味に笑って言ったが、少し寂しそうだった。

そうだよね、毎週のように泊りにきていた友達から突然猛烈な拒否にあってるんだもの。

 

それから友人AのおすすめのUSの刑事ドラマを数話見て、私はいつの間にか寝落ちしてしまった。

 

ふと、自分の咳で目が覚めた。喉がカサカサに乾いている。

枕元のペットボトルに残っていた水を一気に飲み干す。その途端、異臭が鼻をついた。

この部屋に来た時と同じような、おならを煮詰めたみたいな臭い。ガスとは違う、もっと濃度の濃い腐臭のような・・・

とてもじゃないが我慢できない・・・

 

私はベランダの窓を開けた。空はうっすらと明るくなってきている。時計を見ると5時ちょっと前だった。

ベランダもそうだが玄関のドアを開けて顔だけを外に出すと、臭いは全く感じられない。

窓からの空気で少しは呼吸ができるようになったものの、それでもあまりにも臭い。

しかも、部屋をうろうろしてみるが臭いの元が特定できない。

この部屋全体が同じように臭いのだ。

 

これ以上いたら吐いてしまうと感じた私は、急いで着替えて友人に声を掛けた。

「ごめん、起こして。今日サカイ来るの忘れてた。ほんとごめんけど、帰るね」

本当は8時ごろに出れば間に合うのだが、もうえずいてえずいて、今にも吐く寸前だった私には部屋を出る以外の選択肢は考えられなかった。

 

友人Aはそれでも「あ、そうなん?気ぃつけてな~」とのんびりと送り出してくれた。

 

それが、彼女と交わした最後の会話となった。

 

共通の友人たちと話す機会があったときに友人Aのことを聞いてみると、全員が連絡取れない状況らしい。SNSでもLINEでも。

ただ、年賀状だけが送られてくるのは変わらないとのこと。

それはうちもそう。

 

今思い出すだけでもちょっとえずいてしまう異臭の話。