当直医の付き添い
1995年頃の話である。
とある地方の総合病院で看護部長として務めていたAさんから、こんな話を聞いた。
その病院は病床100ほどではあるが女性医師がおらず、患者からの要望もあったことから、ある時、女性内科医が採用された。Aさんとその女医はお互いの子供の学年も近く、すぐに二人は仲良くなり、気さくな付き合いをしていたらしい。
2ヶ月程経ったころ、Aさんはその医師から「当直勤務が初めてだから、一緒に泊まってほしい」と頼まれた。入院設備のないクリニック勤務しか経験がないという。
Aさんは、それはさぞ不安だろうと二つ返事でOKし、さっそくシフトを調整し、医師の当直日に合わせて自分を当直看護師として加えた。
看護部長として長らく現場を離れていたAさんにとってはひさしぶりの当直で、みんなの仕事ぶりも見ることができる良い機会だと、当直を楽しみにしていたらしい。
当日、23時の見回りが終わり、0時からの担当への申し送りを行なってからAさんは当直室へと向かった。
救急指定病院ではないから、夜の院内はとても静かである。病室の無いフロアは真っ暗闇で、その中を一人、懐中電灯の明かりだけで移動しなくてはならない。勤続30年を超えるAさんにとっては怖くもなんともないが。
看護師が仮眠できる当直室と、医師が待機する医局は隣り合っていて、Aさんは医局で女性医師と少しおしゃべりをしてから、仮眠のために当直室へ入った。女性医師ももう休むとのことだった。
Aさんが懐かしい当直室のベッドに横になりうとうととまどろんでいると、
「おい、おい」と老人の声が聞こえた。
現場を離れて長いとはいえベテラン看護師だ。なにかあったのかと一瞬で覚醒し、バッと目を開けると、当直室の天井に顔、顔、顔、それはもう何十もの顔がずらりとならんで、Aさんを見下ろしていた。
「え?あれ?」
Aさんはその全ての顔に見覚えがあった。元患者さんだ。無論、全員亡くなっている。
「みんなどうしたん?」
Aさんはその時、全く怖いとも変だとも感じなかったそうだ。
その顔だけの老人たちはAさんに向かって口々に言った。
「どうしたもこうしたも、あんた、珍しいやんか」
「ずいぶん久しぶりやねぇ」
「元気にしとったかえ」
「今日はどうしたんや?」
Aさんは何の恐怖も感じないまま、非常に冷静に「当直医の付き添いでねぇ」と事情説明したそうだ。
顔の老人たちは、「そうかそうか」と言ってみんな消えたという。
「おかしな話やけど、そのときは別に変に思わんかったのよ。ほんでね、よく考えてみたらあの患者さんたちはみんな私が看取った人よ。ほとんどが身寄りがない老人でね、私が最後まで、清浄してあげてお線香焚いてね」
Aさんはそれ以降、時々当直室にお菓子やお線香を置くようになったらしい。
「若い看護師さんには嫌がられるけど、まあ悪いもんじゃないし。時々行ってあげんと」とAさんは懐かしそうに目を細めて微笑んでいた。